福助 - fukuske - 福助 fun 足もと_もっと自由 足もと_もっと自由 WEAR
くらしを変える、
一足を。
伝統と創作の原点は、かけがえのないルーツにあり。伝統と創作の原点は、かけがえのないルーツにあり。

WHAT'S YOUR GOOD LIFE ?

伝統ある一足。

伝統と創作の原点は、
かけがえのないルーツにあり。

by 吉田兄弟

現在の青森県西部で生まれた伝統芸能、津軽三味線。
その伝統を継承し、国内はもちろん、海外にも魅力を伝える吉田兄弟。
来年2019年にはデビュー20周年を迎えるお二人ですが、
彼らは“伝統”の重みをどう感じ、どう昇華しているのでしょう?
世界に羽ばたく兄弟には、海外に挑む新たな視点と
ルーツである故郷を愛する視点、その両方が宿っていました。

INTERVIEW

父の夢を受け継いだ伝統の津軽三味線と、
伝統ゆえに感じた思春期の気恥ずかしさ。

日本の伝統芸能である津軽三味線。その奏者として第一線を走り続ける吉田兄弟ですが、そもそも津軽三味線とは、どのように出合われたのでしょう?

良一郎(兄):僕が5歳のときですね。「何か楽器を習いたい!」と言い出した僕に、父が提案したのが三味線でした。父は津軽三味線のプロを目指し、周囲の反対から挫折を経験した人間です。子どもに夢を託したのでしょうが、当時の僕は幼稚園生。父の思いはおろか、三味線がどんな楽器かさえ分かりません。習いごとが始められる。最初は、その嬉しさだけでしたね。

健一(弟):僕も5歳のときでした。兄を追いかけるように三味線を始めたものの、楽しかったのは最初の数年だけ。思春期に差しかかるころには、苦痛に感じ始めるわけです。三味線って、どうしても古めかしいイメージですよね。小学生でやっているのなんて、周囲では僕らくらい。特に夏祭りの時期は、逃げ出したい思いでしたよ。街の祭りに駆り出され、浴衣姿でステージに立つと、毎度のように冷やかされて(苦笑)。

良一郎:しかも同級生は、次第にギターを始めるわけです。だけど僕たちの手元にあるのは、いかにも和風な三味線(笑)。うらやましさも相まって、投げ出したい思いがどんどん強まりましたね。どうしたらやめられるものかと、弟と二人、作戦会議の毎日です。しかも、かなり真剣に。

日本の伝統芸能である津軽三味線

ほかにはない、繊細にして力強い音色。
「津軽民謡」に育まれた奏法が、兄弟を虜に。

そうした多感な時期を乗り越え、三味線を続けられた理由は何だったのでしょう?

良一郎:僕が12歳、弟が10歳のときです。稽古先を地元の登別から札幌に移し、津軽三味線の家元である初代・佐々木孝師匠に師事したことが、大きな転機となりました。師匠の演奏を聴いたときの衝撃は、今も忘れられません。袴をまとった所作も、バチの構え方も、そして三味線の音色もすべてがかっこいい。津軽三味線特有の早弾きに魅了されたのも、このときだったのかもしれません。

健一:父は三味線ではなく、あくまでも津軽三味線を学ばせたかったのでしょう。長唄や地唄に浄瑠璃と、三味線は多くの伝統芸能に用いられる楽器ですが、中でも津軽民謡の中で育まれた津軽三味線は、弾き方も音色も非常に独特です。繊細にして力強く、津軽三味線の奏法で他ジャンルの曲を弾いては、うるさく聞こえるほどです。しかも師匠は、譜面を使いません。師匠の演奏を耳でコピーし、1カ月に1曲を習得していく。「やめたい」と思う暇はありません。ただただ、稽古に没頭する毎日でしたね。

良一郎さん

「僕たちは師匠から、津軽三味線の“型”を一から教え込まれました。当時は意識しませんでしたが、その“型”の一つ一つが、今に息づく“伝統”を形づくっているのかもしれません」と良一郎さん。

海外の舞台に立って深く知る、伝統の重み。
「民謡のフレーズ」こそ、世界を魅了する。

津軽地方で育まれた独特の奏法を習得され、その魅力を全国区、さらには世界にまで知らしめた吉田兄弟は、伝統の後継者です。伝統を背負う者として、プレッシャーを感じたことはなかったのでしょうか?

健一:確かに僕たち兄弟は“伝統の後継者”として位置づけられ、デビューしたのかもしれません。2002年から中学校の選択授業に和楽器が採用され、「若者に和楽器を浸透させるには、若者の奏者が必要だ」という観点から、僕らは見出されています。そうである以上、自分たちの役割を認識してはいましたが、気負いはなかった気がします。

良一郎:僕も弟も、もっとシンプルな思いでしたね。師匠と出会い、本格的に津軽三味線の稽古を始めて以降、後にも先にも「津軽三味線のかっこよさを伝えたい」という思いだけ。その一心で稽古に取り組み、今では海外公演に出掛けることも珍しくありませんが、かっこよさを伝えたい対象が同級生から全国の人へ、全国の人から世界の人へと変わっただけです。少しずつスケールアップしつつも、僕らの根っこにある意識は変わりません。ただ、海外公演が増えるにつれて、少しずつ“伝統の後継者”という意識が芽生え始めたことは確かです。

吉田兄弟

健一:分かりやすいところで言えば、着物への反応ですね。僕らにとって着物は、いわばステージに立つときの戦闘服。着物を着ると「やるぞ!」というスイッチが入ります。“伝統の後継者”だから着物を着るのではなく、あくまでも個人の選択です。最近では、洋服でステージに立つ三味線奏者も少なくありませんが、海外のステージに立つと、着物の力を否応にも感じさせられます。予想以上の熱狂をもって、迎えてもらえるんです。

良一郎:演奏も一緒です。これまで多くの海外アーティストと共演してきましたが、著名なギタリストやベーシストが評価するのは、必ずと言って、民謡的なフレーズ。ギターもベースも、三味線と同じく弦楽器ですが、民謡的なフレーズは、三味線にしか表現できないのでしょう。彼らは一様に「どう弾いているのか?」と、感心すらしてくれます。民謡という伝統的なフレーズこそ、世界で勝負できる。そう感じさせられています。

健一さん

「海外のステージを経験し、着物の重要性を知りました。“和”を求める外国人からすれば、着物姿のアーティストを見ることそのものが、一つの立派なエンターテインメントなんです」と健一さん。

津軽生まれの伝統芸能が見せてくれた、
日本から遥か遠くにある「新しい世界の景色」。

海外に伝統を伝えに行ったのではなく、海外の人から伝統の魅力を教えられたとは、とても興味深いお話ですね。

良一郎:僕らからすれば、三味線は古き良き伝統の楽器である以上に、新しい世界へと導いてくれる楽器です。吉田兄弟として多くの国を訪れましたし、僕はこの夏、和楽器から成る「WASABI」という音楽ユニットで、南米ツアーをまわったばかり。もしも三味線をやっていなかったら、南米を訪れる機会なんて、なかったはずです。

健一:僕も個人の活動として、バルセロナの大学で三味線の講師をしていますが、これもまさしく、三味線の存在があってこそ。講師を始めて3年になりますが、素晴らしい街に出合えたと感じています。日常の光景に世界遺産が佇み、食も音楽文化も非常に豊か。バルセロナを訪れると、不思議な感覚になりますね。自分の生まれ故郷から遠く離れているのに、なぜか落ち着き、とても豊かな気持ちになれます。

良一郎:日本に帰国したときの思いも格別です。ツアーを終えて日本に帰ると、毎度のように「やっぱり日本は素晴らしい」と実感します。海外の人の評価から、三味線の魅力を再確認するのはもちろん、海外を訪れてこそ、日本のおもてなしや山、海に囲まれた美しい土地に対し、より一層の魅力を感じることができるんです。

吉田兄弟

兄・良一郎さんは2018年8月に、津軽三味線・尺八・箏(そう)・太鼓から成る「WASABI」で南米ツアーを敢行。弟・健一さんはバルセロナでの講師のほか、若手の津軽三味線奏者が集う「疾風」のプロデューサーも務める。

「伝統と創作の融合」を叶えてくれたのは、
広大な自然が広がる二人の原点・北海道の大地。

海外の文化に触れることで、日本に息づく魅力が際立つわけですね。そうした日本の中でも、特に魅力的な土地を教えてください。吉田兄弟にとって豊かな時間が過ごせる場所とは、どこなのでしょう?

健一:日本国内で言えば、やっぱり北海道。僕たちの出身地です。北海道にある豊かな自然が、僕を豊かな気持ちにさせてくれます。道内では都会とされる札幌でさえ、少し車を走らせば、山の景色を見ることができますからね。

良一郎:特に生まれ故郷である登別には、海も山も、川もあります。僕も弟も、登別の大自然の中で育った、まさに野生児です。津軽三味線のルーツは青森ですが、北海道出身の僕らだからこそ、ここまで来られたのかもしれません。津軽生まれの伝統を意識しすぎることなく、自由な発想で三味線と向き合うことができた。僕らは民謡の演奏だけでなく、自分たちで作曲もしますが、あまりに伝統にとらわれすぎては、難しかったはずです。

吉田兄弟

心も体も解放される、北海道・登別温泉。
「リセットの時間」が新たな創作を生み出す。

伝統的な和楽器を背負いながらも、けっして気負うことはしない。吉田兄弟に貫かれる姿勢は、生まれ故郷にルーツがあったのですね。

良一郎:登別は、とても大切な場所です。登別に帰ると、リフレッシュ以上に、リセットできる気がします。作曲をし、演奏をし、日々、アウトプットを続ける僕たちにとって、心も体もリセットできる場所は、本当に貴重です。このリセットを求め、時間を見つけては、登別に帰ってきてしまいますね。そして、まず向かうのが温泉です。

健一:登別と言えば、温泉ですからね。これも野生児ならではの嗅覚でしょうか。千歳空港に降り立つと、まず木の香りを感じます。そして車に乗り、登別に向かって高速道路を走っていると、木の香りから硫黄の香りに変わる瞬間があるんです。すると故郷に帰った安堵とともに、温泉への気持ちが高まりますね(笑)。

良一郎:木の香りや硫黄の香りどころか、樹液の香りさえ、感じ取りますからね。樹液の香りから「ここにクワガタがいるに違いない!」と分かるほどです(笑)。東京で暮らす間は、この嗅覚が閉じた状態。しかし北海道では、感覚が研ぎ澄まされるのでしょう。温泉に浸かって心と体を休め、そして北海道の大地がもたらしてくれるクリアな感覚によって、次なる創作への意欲が養われます。僕たち兄弟が奏でる津軽三味線は、生まれ故郷に支えられているのかもしれません。

生まれ故郷、北海道登別市の観光大使も務める吉田兄弟

生まれ故郷、北海道登別市の観光大使も務める吉田兄弟。登別の魅力を伺うと「やはり温泉です。7つの異なる源泉が湧き出る、非常に珍しい温泉地です」とのこと。頻繁に帰郷したくなるのも納得です。

SELECTED ITEM

福助チェックカジュアルソックス(兄・良一郎さん)福助ドットカジュアルソックス(弟・健一さん)

fukuske

福助チェックカジュアルソックス(兄・良一郎さん)福助ドットカジュアルソックス(弟・健一さん)

福助のトレードマークと言うべき“福助人形”。その“福助人形”が着用している裃(かみしも)に描かれたチェック模様、そしてドット模様をあしらったソックスです。どちらも「子孫繁栄」の意味を持つ、とってもおめでたいデザイン。太い線と細い線の変化をつけたチェック、大小の変化をつけたドット柄が、足もとをおしゃれに彩ります。

  • SELECTED ITEM img1
  • SELECTED ITEM img2

スマートなファッションに溶け込む。
ベーシックかつ上品な色合いと、
大人の遊び心がにじむ総柄デザイン。。

「着物はあくまでも、三味線を演奏するときの戦闘服。ステージ以外では、洋服を着ていますよ」という吉田兄弟。チェック柄を選んだ兄・良一郎さんは「上品な色合いのグレーが素敵ですね。僕は普段、スマートカジュアルな服装を好みますが、カジュアルなチェック柄と上品なグレーにより、僕の服装にも、すっと馴染んでくれそうです」とのこと。

ドット柄を選んだ弟・健一さんは「シャツを主役とした、カチッとした服装が好みです。そのため普段は、シンプルな無地のソックスを選びがち。けれどスマートな印象のネイビーがベースなら、可愛らしいドット柄も違和感なくハマりそう。パンツの裾からドット柄を覗かせ、さりげないおしゃれを楽しみたいですね」と話してくださいました。

吉田兄弟

吉田兄弟

YOSHIDA KYODAI

北海道登別市出身。兄の良一郎、弟の健一ともに5歳から三味線を習い始め、のちに津軽三味線奏者である初代・佐々木孝に師事。津軽三味線の全国大会で頭角を現し、1999年にアルバム「いぶき」でメジャーデビュー。2003年には全米デビューを果たし、以降、世界各地で公演を行うほか、海外アーティストとのコラボレーションも注目を集める。伝統芸能の枠を超えたワールドワイドな活動を続け、2019年にはデビュー20周年を迎える。

SHARE

fukuskeが考える
“伝統ある一足”とは?

  • 靴下づくりの歴史

    お客様の足もとを見つめ続けて。

    福助が靴下の製造をスタートしたのは、昭和7年(1932年)。和装から洋装へと変わりつつあった時代でした。“誠心(まごころ)こめて”をモットーに、技術開発や商品企画へ取り組み、そうした長い歴史の中で培った技術は、今日の靴下・ストッキングづくりに受け継がれています。

    靴下づくりの歴史
  • 信頼と安心

    長年愛される本物の品質。

    「フクスケさん。」135年以上もの長い間、品質を守ってきた福助は、お客様からこう呼ばれています。ご自身用としてはもちろん、ご家族数世代にわたって愛用いただいてきた本物の品質だからこそ、安心してお使いいただけるのです。

    信頼と安心
ページ先頭へ戻る